自然と共生した産業への挑戦
私たちはごく普通に共生という言葉を使う。しかし、人間が自然との共生と軽く言ってしまう前に、すでに自然は共生しようとしていることを、人は忘れているのではないだろうか。
空気も水もすべて自然は提供してくれる。人間がどれだけ汚しても、自然の浄化を行い、何一つ文句も言わずただただ与え続けてくれている。しかし、あまりにも人間が汚しすぎてしまったために、自然の浄化作用も間に合わなくなっている。そして、人間は自分たちの行為で自分の首をしめる段階になってから、自然との共生を叫び始める。
しかし、共生を難しくしてしまったのは人間自身なのだ。自然に暮らす動物が、自然に生息している木の実や果物を食べているように、もともと自然は人間に食べ物を提供してくれた。それと同じやり方の産業が今注目されている。いくつか紹介しておこう。
有機農法や無農薬農法が脚光を浴びて久しいが、さらに注目されている農業がある。無農薬で肥料もいっさい与えない無施肥無農薬栽培である。
この方法で、化学肥料でなければ育たないと言われたリンゴを奇蹟的に実らせた農家がある。 皮膚がかぶれる化学肥料の不自然さに気づいた木村さんは、無農薬リンゴに取り組む。
しかしそれから6年間、全く実のならないリンゴに死を決意し山に入る。そこで病気も害虫も少なく実を結ぶドングリの木に気づかされた。自然は特別な肥料を与えるわけではないのに実をつける。リンゴの木も同じ環境を創れば実がなるのでは・・・そこから自然への観察が始まった。
自然の中にある生態系は、害虫を食べる益虫、病気を繁殖させない葉の上の菌、あらゆるいのちが循環している。
そしてリンゴ農園を自然に近づける格闘をして3年目、ついに7個のリンゴの花が咲いた。4年目にはすべての畑で満開の花が咲いた。
人がリンゴを育てるのではない。リンゴがもともと持っている生命力を引き出す。そのための環境をつくっているに過ぎない。
「私の栽培は目が農薬であり、肥料なんです。」
こうじ菌や酵母・乳酸菌を使い、古来からの日本の醗酵技術を駆使して新しい製品を生み出す。つまり、味噌や醤油、家業の酒の作り方そのものなので、安全性は古来から保証ずみ。
しかし、素材から商品につなげるという大企業でも手を出さない作業に、何も知らずに取り組み10年。いくつもの醗酵を組み合わせながら、微生物の種類・量・熟成期間に変化をつける。毎年かかる費用は数億円。お米のエッセンスと微生物のパワーが「ライスパワーエキス」を生み出す。自分の挑戦に疑いは持たなかったという。
西洋のヒューマニズムとは「人道主義」ではなく「人間中心主義」また、その方法は「単一思考」や細分化」。だから行き詰まった。例えば乳酸菌を作る場合、とにかく乳酸の種菌ばかりを培養して増やそうとする。
日本の場合は「相対合一論」と「総合化」。相対合一論とは、相反する事柄をひとつに合わせながら、真実に向かって進んでいくこと。
米の一粒一粒を見つめ直し「わたしは生かされている、という発想を基本において、東洋と西洋のいいところを採って合一させ、次の時代を創ってゆきたい。」 「日本文化の源泉にある米の価値を見直して、文化ばかりでなく、哲学や政治、経済などあらゆる領域で新しい概念の創造につなげてゆきたい。」
この信念を根底にして生まれた製品が、医薬部外品として、40年間変わることの無かった薬事法で「皮膚の水分保持能力を改善する」という効能書きを認めさせた。
巨大化し牛を管理することが成功であると言われた酪農で、牛を管理せずに自然の中で放牧する。牛の数は地域同業者の半分。
穀物などの飼料にくらべて牧草は栄養価に劣るため、一頭当たりの乳量はおよそ3割ほど。しかし利益率60%以上で、他の酪農家よりも利益をあげているのは何故か?
輸入ものの飼料(穀物)はほとんど使わない。自然の草にこだわって牛に食べさせる。「穀物は本来の牛の食べ物ではないから」がその理由。
だから、世界的なエタノールの開発で、トウモロコシなどの値が上がり、輸入飼料の面で打撃の大きい酪農などの業界にあって、ほとんど影響を受けることなく、マイペースに酪農を続けている。
1頭あたり1ヘクタールの草地に牛を放す。夏は放牧、冬は干草(3日間天日干しした自家製)。牛の糞は発酵させて堆肥にし草地に戻す。そしてミルクができる。「こういう循環こそが農業。この自然の営みの中から、おこぼれを頂戴して、人は生きている。」
東京から入植して10年間は、常識的な酪農を無我夢中でしていた。しかし、ふと気がつくとあこがれていた自然の風景は目の前になかった。「『初心』と『経済』を、交換しちゃったんだよね。」
これで目がさめた。常識を打ち破り、牛を減らし古いと言われる放牧に切り替えた。牛に声をかけ、話をし、心通わせる。牛のもつ生命力を最大限に引き出す。「立ち止まり足るを知る」これがマイペース農業。
「自然と向き合えてこそ農民。農民は、良くも悪くも自然だとか、家畜という生き物だとか、草だとか、そういうものと共生してこそ農民。」