聖徳太子と祀祭政
この礎を創造したのは聖徳太子だ。太子は、神道(祭)儒教(政)に加えて、土地や豪族の神に支配されない共通信仰として仏教(祀)を導入し、神・儒・仏を統合させた。
そして、豪族達の中心に合議制としての天皇をおき、中央集権国家の確立をめざし、官僚制度平等化の冠位十二階と、国家統治の十七条の憲法を制定。
十七条の憲法はまた、ムスヒの精神から生命(祀)・自然(祭)・社会(政)の3つの秩序を調和させる三位一体を目指したのである。
聖徳太子はそれを「和を以って貴しと為し」と表現した。
日本文明・文化には、聖徳太子が行った宗教を中心とした行政改革を始めとして、政治・教育・経営・家庭・職場・地域社会などに「祀祭政の精神」が根付いていたのだ。
7世紀に制定された十七条の憲法は廃止された形跡がない。今もって日本社会に根付いているという人もいる。聖徳太子は今から千年以上も前に、日本で最初の行政改革を断行し、祀祭政日本の礎を作ったのだ。
残念ながら明治維新・戦後を経て、その精神が崩壊しつつあるのが、現代の日本社会である。
日本一心 祀祭政への回帰
下に挙げた祀祭政のマツリゴトは、日本人なら誰もが知っている行事だ。これらの行事にも、かつては「祀祭政の精神」が根付いていた。現代は、形だけやタダのイベントになっている行事が増えてきた。
もしも、あなたが「生命・自然・社会の調和」の心で、これらの行事を執り行っていたら、素晴らしいことだ。
現代社会の様々な問題を突き詰めていくと、生命(祀)自然(祭)社会(政)の調和を取り戻すことが、いかに重要であるかわかるはずだ。