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企業づくりコラム

大我に生きる 陰徳あれば陽報あり【鳥井信治郎】

陰徳あれば陽報あり
『陰徳あれば陽報あり』

人に見えないところで徳を積み重ねておれば、それは必ず自分に巡り戻ってくるはずだ
――という意味であるが、この言葉をモットーにしていたのが、 サントリー創業者の鳥井信治郎である。 いかにも仏教的な「因果応報」の思想である。

毎朝、般若心経や観音経などの小一時間の勤行。 その後は柏手を神棚で打つという日課。 ところが信治郎はこれといった固有の信仰があったわけではなく、 とにかく神様とか仏様と名のつくものに、無条件に敬意を払ったと言われる。 かつては社内に「神仏課」を置き、全国の神社仏閣に、 祭事があるたび寄付や自社のウイスキーを奉納していたという事実がある。

この信仰心の深さは幼少の頃から、母親によって育てられた。 明治12年生まれの信治郎の時代は、また国民全体が貧しく、 そんな人達にいやな顔ひとつせず小銭を与える母であったそうだ。 小銭をもらった人が大声で何度もお辞儀するのを楽しげに見つめる信治郎に、母は
「見るもんやおへん、ふり返ったらあかんぇ」
と厳しく戒められて育った。

『わしが陰徳、陰徳というのはなぁ、あんときのお母はんの教えによるところが大きい。 ある者ない者に施しをする。そんなんは当たり前や。 いばることもないし黙ってしてやったらよろし。 これをしたげたさかいに見返りを求めるなんちゅうのは論外やで。 人間、どんなときでも慈悲の心を忘れてはいかん』

と、周囲の人にことあるごとにこの言葉を繰り返していたという。 また、社会福祉法人を設立し、夫人とともに恵まれない学徒のために 奨学金を内密にして提供し続けてもいた。  

戦後には、会社をあげて大阪市内での炊き出しの救済活動。 その時も幹部の反対する声に
『アホやな、おまえらは。そんなことを言うとるさかい、 なにひとつでけへんのや。日本中が困ってることくらい、 わしにもわかっとる。というて、誰もなにもせんだらどうなるんや。 復興はますます遅れる、遅れる分だけわしらの仕事もやれんことになる。 だいいち一人でも二人でもおカユをやれる力があるなら、 それを実行するのが人の道やないか。』

貧しい人への施しを現代に置き換えるとするならば、 今の会社で困っている中小企業や仕事を求めている人達に、 施す大企業がいったいどれだけあるのだろうか? みな、生き残り、生き残りといいながらありったけのものを 自分達の会社にかき集めているというのが現実ではないだろうか?

鳥井信治郎の「陰徳精神」
ところが非常に残念な調査結果が、野村総合研究所によって、2005年12月5日に発表された。
現代社会は、上場企業に20~30歳代の正社員の75%が
「現在の仕事に無気力を感じている」
というのである。同社は
「仕事での成長実感や社会的意義を感じられず、 容易に転職を考えがちな若者の姿が浮き彫りになっている」
と分析した。  体力も気力も、また夢も一番持ち合わせている世代が、 今なぜそのような無気力になっているのであろうか?

能力主義・年俸制とさまざまなことが変化している現代の企業。 反面、人としての智慧を蓄積することなく、 だた成績だけが重視され、働くことの意味を見いだすことのできない 無気力な若い世代は、心貧しい人生を生きようとしている。 それはそれで仕方がないと他人事になっている場合ではない。 若者が無気力であるということは、 どの会社の将来も先がないということと同じであり、 さらに日本に未来はない、といっても過言ではない。 これは社会全体、日本全体の重要な問題とみなければならない。

少なくとも、鳥井信治郎の時代のサントリーには、 そういった社員は一人もいなかったようだ。 当時から、華麗でスマートな花形会社として、 文化系大学生の就職人気ナンバーワンにまでなっているサントリーは、 裏腹に真面目かつ非常に厳しい会社であった。 どの工場も床や階段は磨き上げられ、従業員の仕事ぶりも整然そのもの。 前の晩どんなに遅くなっても朝は8時50分までに出社が義務づけられていた。 日中は問屋や小売店へのセールス、夜は担当地区の料理店や居酒屋などへのサポート。 帰りが午前様は当たり前。 現代の若者であれば、さっさと退職するような環境かもしれないが、 当時の営業マンは不平不満を洩らさず、 嬉々として働いていたとされている。それは何故か?

「任せてくれるんですよ、仕事を。 (会社としての)スジさえ外さなければ上の人は何も言わない。 それが伝統のようになっていて、うちの会社では、 むしろ自分で考えて自分なりのやり方を通す者が好まれるんです。 家族主義もまた安心して働ける要素です。 失敗してもなにをしても、とにかく骨は拾ってやるから思い切ってやってみろ、 という風土がここにはあるんですよ」

個人商店的な側面があり、家族的な団結によって作られた当時のサントリーの土壌は、 鳥井信治郎の「陰徳精神」なくしてはできなかったと言われている。 また戦後、この心で陰徳を積んだ多くの日本人によって、 戦後から見事な復興をなしたのである。

今の世の中、損得利害中心になってしまっているが、 会社だけでなく社会が、日本がよくなるためには、 鳥井信治郎の「陰徳精神」に目を向け、人と人との生かし合い、 支えあう精神を持った経営者が今こそ求められているのではないだろうか?

それこそが日本型経営であり、企業づくり構想のコスミカリズムマネジメントなのである。

引用 経営者を支えた信仰~ 池田政次郎著より