宇宙は大いなる一つの命に繋がって生かされている
本来、宇宙と繋がっている命を、宗教的自我・国家的自我・自己的自我によって切断するところから、争いと不幸が始まった。一般仏教では、悟りの境地は無自性・空で説くことは出来ないとするが、これを視覚化し、図像としたのが図絵の曼荼羅である。
その中心には、王冠を載せ王者の姿をした大日如来、優雅な軽衣をまとい温かい眼差しの阿弥陀仏、青黒く忿怒の形相をした不動明王等、その容姿はそれぞれ異なるが、いずれも命の本源であり、大宇宙をその身心とするところの万徳を具えた大日如来が、種々の悩みを持つ衆生の願いに応えるために、変身権化した姿である。各尊は自我的個性ではなく、普遍的個性を有する人格である。
一つの命に繋がる故に、悩む衆生があれば同体の大悲が起こり、行動を起こす。各尊は個性的ではあるが、普遍性に立つ故に互いによく理解し、敬愛し、調和した活力ある世界を実現する。木原理事長が提唱される、まさに共尊共生の世界である。大いなる宇宙本源のこの人格を、世界共通語としての英語で、私はコスミック・ビーイング(Cosmic Being)と呼んでいる。
日本人の伝統維持と創造
奈良の正倉院は、海外から渡来の高度な芸術品を、千有余年にわたって保持しているが、それには保存と共に、修理の技術と常に新しい研究によって維持し、再生されている。高度な価値あるものは決して離さない。
私の専門は真言密教の伝統教学であるが、その根幹となる『大日経』は、大乗経典の最後に集大成として七世紀に成立した経典である。膨大で難解、その上に秘密口伝とする部分が多いためか、『大日経』を完成させたインドにも、そして中国にも伝承する阿闍梨は絶え、日本に於いて今日、厳然として継承せられ、息づいているのである。
そこにはユングを超えた深層心理、二十世紀後半以後に発見されたダークマター(暗黒物質)の存在や、ビッグバンによる宇宙創造の発想などが説かれており、一般に想像される幸せの世界は天上界という幻想である。曼荼羅には国づくり人づくりの、真の理想世界が緻密に描かれている。
私は両部大経の伝承者の一人として、伝統宗学を踏まえつつ、文献学的成果、宇宙物理学や西洋哲学的思考法を組み込みながら近代化し、前回から三十五年振りに平成十六年より高野山で伝統の儀則に従って、二百余名の学者・大徳の方々に伝えつつある。
また日本は、明治以後西洋文化を急速に学び、追いつき、遂に自動車・カメラ・時計等々は、世界の一流レベルのものとなった。二十一世紀は更なる展開が期待される。
異宗教共尊と環境保護
平成十六年、密教の高野山・修験道の大峯山・神道の熊野山、それらを結ぶ参道を含めて世界文化遺産となった。三つの異なる宗教の共尊共生、そこに茂る千古の老杉は伝統ある信仰によって自然環境を維持している。二十一世紀は異宗教の共存・環境保護は最大の課題であるが、日本人は信仰の中で、当然のこととして実践してきたのである。
大いなる命に繋がろう
膨大で深淵な両部大経を凝縮し、全身心で体得しようとして、日本で成立したものに、「阿字観」という簡潔にして高度な観法がある。私はこれを生理学・心理学・ハタヨーガ等の要素を組み込み、在家の方にも実修出来る瞑想法として、『阿字観瞑想入門』『密教瞑想法』等の本を出版し、阿字観瞑想が次第に広がりつつある。大いなる命に繋がる道は色々あると思うが、姿勢を調え、命の本源である「ア」の声に宇宙と呼吸を通わせ、心を通わせて、悠大な命に繋がって見ませんか。