創刊号発刊おめでとうございます。
「品性」「品格」といった言葉が昨年来書物に溢れ、それぞれ数十万部の売り上げをあげました。中でも藤原正彦氏の『国家の品格』、坂東眞理子氏の『女性の品格』、渡部昇一氏の『日本人の品格』等々がそれらの代表ではないでしょうか。
崩壊する日本の品格・品性
もともと日本人は、品格の備わった民族であり、十九世紀あたり欧米諸国からは一目おかれていたと言い伝えられてきました。それらを証明する事柄がいくつも文章として記述されています。
今日、なぜ「品格」なのか、なぜ「品性」なのかが注目を浴びるようになったのかを考えてみると、日本人の品格、品性が失われつつあると正常な意識を持つ人達が危機を感じ始めたのではないでしょうか。
世の中に品格・品性と対峙する言葉に「下品」があります。現代の世相には、その下品、品性のかけらもない、つまりは「無品格」があまりにも多く目立っています。特にTVから流れてくるタレントやコメンテーター、司会者(特にTV朝日、TBS)に多く見られます。
政治の世界も似たり寄ったりであります。本会議場や予算委員会場における野次に品格のなさがモロに表れています。野次とは議論の間に一風の清涼剤のごとくウィットに富み、タイミング良く飛ばすのが、国会の野次ではないかと思います。今や国会の野次は怒声としか感じられない野次ばかりであります(特に参議院民主党)。こうした場合一番悲しいのは、下品な野次を飛ばす人は、自分が下品な存在だということに気づいていないことです。
かつて平成十年に、天皇在位十年を期して、美智子皇后様がお述べになったお言葉に、「人には人柄がある様に、国にも国柄があります」というものがありました。つまり、「我が民族は品格・品性を失ってはなりません」とおっしゃっておられたものと私は受け取りました。
現代はまさに皇后様の危惧されておられた世の中になりつつあるのではないでしょうか。そして先の話に戻りますが、マスコミ(特にTV)等は、ペン、電波権力の強さを自覚していないのか、又は自覚しているにもかかわらず、あえてそのことを隠して日々の報道活動をしているのか、甚だ不明であります。
自虐的報道、バランスを欠いた報道にどっぷりと浸った人達に共通する感覚には、一つには伝統の否定、二つには日本の文明(文化)の否定があります。自国の文化・伝統を否定することによって、安心感を形作っているものと思われます。
すなわち先の大戦の自虐的思考と重なっているのではないでしょうか。それが今日の報道姿勢になっていると思われます。こうした報道姿勢に追随し、感化された野党の国会審議には、週刊誌の見出しやTV報道(私は報道とはいわない)、バラエティー番組の意向が審議内容に色濃く表れているのは大変残念であります。
品格の形成を計ろう
では、現状をどう変えていけばいいのでありましょうか。私は、まず品格の形成を計るべきだと考えます。品格の形成を具体的に何から始めるべきかと問われるならば、当然正しい歴史認識を持つべきです。その前に礼節を重んじ、伝統文化を大切にする心を養うべきと考えます。
このことは、社会活動、すなわちビジネス活動や国際交流などの活動に必ずや貢献できるものと信じております。私は現在、文部科学副大臣として公務に励んでおりますが、日本の未来を託する子供達の教育は大変な過渡期を迎えています。解決すべき課題が山積しておりますが、先ほどの礼儀・礼節をわきまえた日々の活動が、大半の課題解決に寄与するであろうと考えております。
木原先生の提唱されている「国づくり人づくり国民運動」はこうした教育現場に大きな影響を与えて頂けると思う今日この頃であります。私も及ばずながら先生方の国民運動のお手伝いができることを幸せと感じ、筆を置かせて頂きます。