世界で愛される和歌
英語の教師だった私が和歌に出合ったのは、大学時代の恩師が年賀状に詠まれた短歌でした。日本の伝統文化の魅力にのめり込んでいった私は、藤原定家の伝統を継ぐ冷泉家の門を叩きました。昭和60年ごろの事です。
丁度日本では、「国際化」がしきりに叫ばれるようになり、私も自分にできることは何かと考え、短歌の英訳と英文短歌作りをはじめることにしました。伝統文化の継承と、世界への発信という意義が評価されたのか、企画提案していた国際短歌大会が開催されることとなったのは平成11年5月のことです。
和歌は感受性を磨き、心に潤いを与え、人生のさまざまな折節を彩ってくれます。海外との交流が激しくなればなるほど、日本人は益々日本人らしくならねば、外国人と対等な付き合いは覚束ない。自分がどんな文化的土壌の中で育ち、知識としてだけでなく、培ってきた技を身につけていかなければならない時代に来ていると感じます。
和歌には人類共通の普遍性がある
俳句・短歌の持つ五七からなる定型詩は、イザナミ・イザナギの時代に遡り、上は天皇から下は庶民に至るまで、どの階層の人にも愛好されてきました。私は、五七のリズムは日本固有のものではなく、その和歌の美しさは時代を超え、国境を越えて人類共通の普遍性があると思っています。
例えば、イギリスやアメリカには五七の音節からなる詩があります。インドにも空・風・火・水・地の五行の思想があります。一時は衰退の一途を辿るかに見えた和歌でしたが(戦後はGHQの占領政策で禁じられた時代もある)、近年海外との交流が盛んになり、日本の五七からなる俳句・短歌に触発されて世界の多くの国々で自ら持っていた詩形に目覚め、俳句・短歌形式は今や国際的になりました。
五七五七七の三一文字には数の力も込められています。五は「いつ」=出ず。七は「なな」=成る。これを合わせれば、物事が現れ、完成するという意味になります。三一は一ヶ月。月の周期で同様に完成を表します。ゆえに古来、歌には呪術的な力があると信じられてきたのです。歌は、言霊の観点では「力を入れずして天地をも動かす」とも言われています。
歌人は、自分が詠んだ歌を紙に書き写し、ある節をつけて披講します。歌の内容だけでなく、目で見て美しく、耳で聞いても美しく人の心を打つ歌が求められたのです。またその昔、武士は戦場で咄嗟の判断が求められるために、その訓練として歌を勉強しました。特に即興で詠むことが要求される連歌を修練し、心の艶を磨いていたのです。歌には、限界のない深い世界があるということです。
因みに、インドの有名な詩人タゴールは俳句を愛好し、インド俳句協会初代会長を務めました。米国の詩人ホイットマンはジョン万次郎一行がニューヨークを訪れた時、ニューヨークタイムズ紙に「将来アメリカ人は日本から詩歌を学ぶことになるだろう」としています。
日本人とは何か?
昨年の夏、私は改めて「日本人とは何か」を考えさせられる出来事に遭遇しました。それは、英国人ブロム・ウエアー氏の「英国には国歌があり、国旗があり、女王はいるが後援的な聖者がいない」という言葉です。国民の反対を押し切ってアメリカのイラク侵攻に加わった英国は、その報復として平成17年のロンドン爆破事故により数十人の同胞を失いました。
以降、「英国人とは何か?」を政府をあげて論議されているのです。私が、「英国は女王はいるが、後援的な聖者がいない」という言葉に心に揺らぎを覚えたのは、「日本はただ単に、天皇を戴いていれば、日本人・日本国民なのか」という疑問が過ぎったからです。
戦前の日本は「天皇陛下を現人神」として崇めてきました。英国の女王のように財産と権力を思うままにしている支配者と見る人はいないまでも、ほとんどの人が「生きながらにして神となられた存在(後援的な聖者)」と思いこまされてきたのです。
現在では、実際には分刻みの激務を遂行されているにも関わらず、「レジャーや外遊を楽しむ偉い人」というイメージが定着している感もあります。人は長い期間その地位にいれば、自ずと霊格も向上し、天皇陛下ともなられたお方は、日本人の誰よりも万民の幸せを念じる人になられていることを疑うものではありません。しかし、少なくとも神武以来、二千数百年の間、この天皇制が継続したのは人格の高き方々が位につかれたからだけではないのです。
永続する国家とは?
天皇は徳の高い方であると同時に、この地球を存続たらしめている国魂をお招きする「拍手の式」とそれを拝む「神拝の式」そして、歌の作歌法「古今伝授」を身につけていなければ、皇室の永続はなかったのです。歴代の天皇は歌で民衆の心を和らげ、不穏な動きを鎮めてきました。作歌法は天皇だけにしか許されなかった時代もありました。作歌法を許された武将細川幽斎が徳川家康に追い詰められた時、歌の伝統が消えてしまうと、「兵を解くよう」勅命が下されました。天皇は「歌は作歌法を学んで詠むべきもの」ということを、ここまでして守ったという逸話です。
江戸時代まで、天皇になられる方に「拍手・神拝の式」を御指南していたのは白川伯王家であり、作歌法「古今伝授」をご指南していたのは藤原定家のご子孫である冷泉家です。白川伯王家は明治で滅び、冷泉家は京都で今日も作歌法を継承していますが、天皇になられる方が学ばれた形跡はなく、歌の歌風を見ても、冷泉流の伝統和歌を詠まれている方は明治陛下までなのです。
「日本人とは何か」を定義しようとした時、日本観がバラバラでは、日本が国家として世界の中でその役割を果たし、永続する国家たり得ることはできません。つまり、日本人の永続は、国民一人一人が土地の気を受け、日本語を愛し、聖者としての天皇の出現を祈念し、国民と天皇が共に努力した時に実現するものと確信するものであります。