このたび、国づくり人づくり財団の木原秀成理事長が、日本の社会の劣化を憂い会報を創刊された。国を想い、社会を憂い、未来を鑑み止むに止まれぬこの真情は、必ず多くの共感と同志を生み出す源になるにちがいない。祝意と敬意を表する次第です。特にその根底にあるのは、宇宙の存在のなかに全てが息づいている考えのもとに思考を統一して、事業、行動の規範を描いている。現在の環境問題の解決も自然界の輪廻に根ざすのも当然としている。
変貌する日本
日本は敗戦以来六十四年目を迎えている。この経過を直視すると、日本は本当にもったいない国であることが分かる。一九六四年(昭和三十九年)に東京オリンピックを大成功させ、四年後一九六八年に、当時の西ドイツを追い抜いて世界第二の経済国に躍り出た。先人は戦後二十三年寝る時間も惜しんで働き、その日を迎えた。
ところが、一九八五年のプラザ合意は日本の成長振りがすごいので、貿易収支の黒字拡大を抑止するため、円を五十%切り上げて、内需拡大策に転換した。このとき金融の原則を捨て、貸付過剰が生まれてバブルが生まれた。
日本の土地三十七万平方キロが八五年は一〇六〇兆円であったが、五年後九〇年はバブルの発生により二四五二兆円へと急騰した。実に二倍強の急騰である。日銀は総需要抑制策に転じたが、土地は個人の所有だが反面社会の財産でもあるのが、このバブルにより土地の社会性が破壊された。
この六十四年で失ったものは倫理観、正義感、誇り、恥を捨ててきた。まさに自己本位の個々バラバラ社会の出現である。その経過のなかで日本社会は大きく変貌した。三つの大きな転換をしたが、そのことを探求し現実対応を示していないことが寂しい事だ。
一.垂直構造秩序社会は水平個々バラバラ欲望社会に転じた。
二.自由、公正、平等の社会は自由、公正、自立の社会に変わった。
三.二十世紀の時代は、成長と力と拡大の時代と進展したが、現在の二十一世紀の時代は、心と感性と存在感の時代と変貌した。
その経緯のなかで、社会は唯物社会に移行して自己目的志向社会になり、人間尊重の社会は埋没した。親が子を殺す、子が親を殺す、友が友を殺す、妻が夫を殺す、夫が妻を殺す。酷社会に転落し酷い現実を露呈している。その原点は人間尊重であり、家族力がその支えとなる。大事なことは歴史、慣習、伝統、家族を守ることを忘れてはならない。
平和への国家ビジョン
日本の歩む道は一九四五年の敗戦を機会に、世界で平和を提唱できる国は日本をおいてない。太平洋戦争終焉の地である沖縄は牛島司令官、島田知事軍官民合わせて二十二万人が散華した。アメリカはバークナー中将以下一万二千人が生命を失った。敵味方あわせて二十三万二千人の名を「平和の礎」に一人一人の名を黒御影石に刻んだ。戦争の恩讐を超えて平和の祈りを込めて建立されたのは、世界でも唯一のものである。平和の祈りを込めて、白人も黒人も黄色人種も共に祭り鎮魂の碑を建立したのは、世界でも唯一のものである。
平和を希求する心とは「地球の平和、地球環境の安全、人類六十五億の生命を護る」世界一九四か国、民族二千の希望といってよい。そのためには、貧困からの脱出、環境技術の挑戦、新エネルギーの開発、農業技術の展開が未来を構築する。日本は貯金大国である。この貯金が未来構築に前向きに投資されることが重要で、そのための国家ビジョンを具体的に描くことが課題である。この思いこそ国づくり、人づくりなのである。