No.16 人生晩成の学びに出会えて H.O(熊本)


妹 (熊本・坂本敏美)に運命創造学をすすめられたのが、今から8年程前でした。末の息子が大学に入学したばかりの平成7年に夫が他界。夫57才、私が52才。女手一つで家のローンを支払いながら子供を卒業させるのに必死だった時でした。


今思えばそんな私を見て、頑張っているからこそ強運をつかみ、幸せになる為の方法を伝えたかったのだとわかるのですが、その頃の私にはそんな思いに気づく余裕もなく「なぜ私に声をかけるのか、私を誘わないで」とひどい言葉をぶつけていました。


常に対人関係の悩みを自分一人が抱えこんで、「どうして自分だけが」という思いを拭い切れず、「自分さえ我慢すれば」と頭では思いながら、結局は相手が・周りが・環境が悪いと自分をなぐさめていたように思います。


妹だけでなく3年前から学び始めた娘(広島・岡本裕美)までが「一緒に学ぼう」と連絡してきました。当然、電話口でけんか状態、「何で私に言うの、何で私がやらなくちゃいけないのか」とそのままけんか別れのような状態が長く続きました。よく覚えていませんが、ある日いつものように娘が電話をしてきた時なぜかその時は、「そこまで言うのだったら聞くだけ聞いてみよう」という気になり、入門講座を受け、そのまま正式受講手続きをしていたのです。


ところが、本科Ⅰ・Ⅱを受講するまで「これでいいのか、やってどうなるのか」と、妹にはずいぶん気苦労をかけていましたし、受講した後も、全てを 100%手放しで受け入れられた訳ではありませんでした。今まで自分が社会をよくするためにと信じてやってきた活動があり、それとは全く正反対の考えに思われるようなものがあったからです。


結果的には、それは自分の捉え方、ものの見方であり、教えて頂く事は、全ての現象においての本質であるという事を後々感じとっていく事になるのですが、しばらくの間は、もう一人の自分(今までに出来上がった自分)との葛藤の連続でした。


その自分が何故変わる事ができたのか?   一つには、本科Ⅰ・Ⅱ受講時、木原先生が言われた「運命を変えるには、命をかける位でなければ変わらない」という言葉でした。


私はこのままでは死ぬに死に切れないと思うことを抱えており、何としても絶対に変えたいという思いで今までも色々と手を尽くしていたつもりでした。だから娘に「お母さんが一緒になってやってくれなかったら間に合わない」と言われた時、「何故? 私は今まで精一杯やってきたのに。それでも変わらないのは私のせいではない」と情けなく思っていたのです。しかし、運命のからくりを学んだ時に、今の現実を変える事が出来るのはこれしかないと確信しました。


先生の言葉「運命を変えるには、命をかける位でなければ変わらない」、そして私の想い「命をかけて子供のために出来る事がある」が一緒になって、ずしっと自分の心に根をはったようでした。だからこそ受講後は色々な面で葛藤しながらも、教えていただいた事の一つ一つを必ず毎日続ける事が出来ました。


二つめのキーワードは、「続ける」でした。


「自分のこれまでの考えを横に置いてとにかくやってみなさい。やれば必ずわかる。必ず良い方向へ向かう」と教えられても、一番手強いのは自分です。人生の晩成を迎える年代になると出来上がった自分との戦いは苦しいものでした。今までの自分を否定されているように感じていました。ところが自分の中では、なかなか変化していないように思っていたのですが、目の前の現実が確実に変わっていきました。


すぐ隣に住んでいた夫の姉妹と、どうしても心から打ちとけあえないもどかしさがいつもあったのですが、不思議と素直に話が出来るようになり、「本当に相手のためにさせて頂ける事」は何かと考える中で、真剣に想いをぶつける事さえ出来るようになってきたのです。


相手ではなく、自分の中にこそ変えるべきものがあって、それが出来れば物事が円満調和の方向に進んでいく。正に教えて頂く事の日々の実践です。妹が娘がいればこそ、迷う時があってもお互いがはげましあえる、一緒に学ぶ仲間にもどれだけ助けてもらったかわかりません。


今ではこの縁をいただけた事への感謝を、自分自身の成長を持ってあらわしたいと日々頑張っています。定年を過ぎ 60半ばを越えても人生に向かう目標があり、学べる事がある喜びを実感しています。


今ではこの縁をいただけた事への感謝を、自分自身の成長を持ってあらわしたいと日々頑張っています。定年を過ぎ 60半ばを越えても人生に向かう目標があり、学べる事がある喜びを実感しています。   これから本当の自分の人生づくりです。なんだか毎日がわくわく。今が青春真っ只中です。


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