CMF運命創造学と自分の関係は、今から約10年程前、小学生の頃からになります。 当時は両親が学び始め、自分も間接的に触れておりましたが、 2005年9月夢・地球交響博を経て、10月に本科II、11月に本科IIIを受講させて頂きました。 今、実践し始めたばかりです。
運命創造学は、自分にとって他の学問と違い、理論や理屈ではなく、 何処か感情に訴えかけてくるものがあります。 ある意味哲学的であり、宗教的であり、また、芸術的であります。 その名の通り運命(=人生)を、創造(=クリエイト)していくのです。 自分の人生を創り上げていく学問・・・・熱くなりませんか? とても熱くなります。
「人間のDNAは九割がた皆同じ。そのDNAのスイッチをON/OFFすることが出来る」 と科学で解明されていると知ると、 「人間はなりたい自分になれるんだ!」 と自分の可能性を信じざるを得ないではありませんか。 僕は信じることが出来ました。 信じることが出来てしまった僕はとても焦りました。 「もう今年で22歳じゃないか!やばい、時間がない・・・!」
何故なら僕は元々何かにつけ影響されやすい質で、 やりたいこと、なりたいもの、「夢」が沢山あるのです。 以前ならば「どうせ自分には・・・・」と挫けてしまっていました。 ですが、もうそんな暇はありません。 信じ切って実践していくしかないと思うからです。 ただ「実践、実践」と言っても現実の努力なくしては夢なんぞ叶うはずはありません。 当たり前です。多くの新興宗教に見られがちな 「お経を唱えりゃ上手くいく」わけはありません。 当たり前のことを当たり前にやるというのは案外難しいことです。
昨年から僕は両親が営む会社に勤めておりますが、 以前よその会社では当たり前にやっていたことが、 「親子」という環境で「甘え」が出てしまい、 なかなか当たり前のことを当たり前にやれない難しさを感じておりました。 感情が先に立ってしまうのです。
しかし、「法」を中心とした物の考え方をすると、すんなりと受け入れることが出来るのです。 「感情」はどこかに消えてしまいました。 「自分」の物の考え方から抜け出すことが出来たのです。 ちなみにこの変化は最初、自分では気が付かなかったのですが、父に言われて初めて気が付きました。 まだまだ小さな一歩ですが大きな一歩です。
僕はよく「小さい頃から運命創造学に触れていると違うねぇ」と言われますが、それはあると思います。 やはり運命創造学に触れていない人にとっては、最初はなかなか受け入れることが難しい部分はあると思いますので。
日に日に殺人事件などの犯罪が増え、さらにその殺人事件を若い人が起こしてしまっていることを思うと、 幼い頃からの家庭環境・教育等の部分が影響していると思います。 さらに最近の若い人(自分が言うのも何ですが・・・・)が夢を持てなくなっている寂しさも感じております。
僕は昔から夢は沢山持ってきましたが、はっきり言ってしまえば 殺人事件を起こしかねない危険な部分も持っていました。 両親が運命創造学を学んでいてもです。 ですから「うちの子は大丈夫」とか「うちの子に限って」とか思ってないで、 無理矢理にでもこの世界に触れさせてあげて欲しいと思います。中村家がそうでした。 次世代を担う子供たちに、夢や希望の溢れる、平和な素晴らしい世界を繋ぐために、 僕は自分から信じ切り、実践・努力をし、夢は必ず叶うと、証して行きます。
最後に、最近解散してしまったアーティストの僕が好きな曲の歌詞の一部分を書かせて頂きたいと思います。
何もやらないでツベコベ言うのは楽しくないでしょ! さぁ行こう!