日本は、地下資源は乏しいが、四辺を海に囲まれた緑の大地で、自然の美しさや四季の変化に恵まれている。海の幸、山の幸が豊富で、人情がゆたか、歴史や伝統、文化も重厚だ。


いまなお、日本は西洋主義・改革主義
地下資源以外のすべてがそなわっているのが、わが祖国で、わたしは、日本に生まれたことをうれしく、誇りに思う。ところが、いまの日本人は、地下資源のない貧しい国、狭い島国、西洋の後塵を拝するサル真似国家という意識がつよく、自虐史観などというとんでもないものまでが、とびだしてくる始末である。経済的見地や西洋文明史観に立って、祖国を誇りに思う素朴な心情を忘れているのである。  

明治維新から、大正デモクラシー、戦後のアメリカ化など、かつて、日本は、西洋をモデルに、近代化・国際化をすすめてきた。 この西洋主義の主導権をにぎったのがインテリで、いまなお、大学の博士号は、西洋の学問の翻訳者のみにあたえられる。 霞ヶ関がその牙城で、かれらは、西洋の視点からしか、日本を見ることができない。ヨーロッパに比べて、アメリカに比べて、日本は遅れている、という物言いがそれで、そういう発想から、いまなお、日本では、改革主義が猛威をふるっている。


日本人が見えていないもの
改革というのは、否定の原理で、祖国のすがたをまもろうとする意識と相容れない。過日、国づくりを提唱する保守系団体から、案内状が届いた。見ると、勇気をもって改革をおしすすめよう、道州制を実現させよう、とある。  

わたしは、国づくり人づくりが、こういう安易な改革主義に傾くことをおそれる。改革というのは、西洋においつけという文明開化の延長で、めざしているのは、西洋(経済) 合理主義で、国づくりが、改革の衣を着ているかぎり、不毛な消耗がくり返されるだけである。  

「ルック・イースト(日本に学べ)」は、マレーシアのマハティールだけではない。世界が、日本から学ぼうとしている。だが、いまの日本人には、それが見えていない。ハンチントンが『文明の衝突』で、世界の二大近代文明として、 西洋文明と日本文明を比肩させている。西洋文明の限界や弊害を補うのは、おそらく、日本の知恵や文化であろう。 国づくりが、日本文明の見直しであることを、声を大にして、いいたいのである。