「誇るべき日本」と「憂うべき日本」
戦後の我が国を振り返ってみた時に、私は複雑な思いが致します。それは、誇るべき日本の姿と憂うべき日本の姿が、コインの裏表のようにその姿を見せるからであります。一つに、誇るべき日本の姿とは、取りも直さず敗戦という未曾有の国難から見事に復興した日本の姿と、それを為し得た当時の人々の気概であります。 誰もが辛く厳しい時にあって、我が国古来よりの美風である勤勉、努力、道徳、公共心を発揮し、天皇陛下のもと、一致協心して、祖国復興に注力した人々のその姿は実に尊く、我々が長く手本とすべきものに他なりません。
 
なぜそのような人間性を発露することができたのかといえば、それはひとえに当時の教育がそのような人間を、すなわち社会の為に、自ら考え行動する国民を育てるという明確な目標を持ってなされていた事に因るのであります。そのように誇らしい日本がある一方で、憂うべき日本があります。それは、現在の私たちを取り囲む日本社会そのものが表象している怠惰、欺瞞、利己主義といったものです。かつての我が国ではそれらを抑制し、より立派な人物になることに重点を置いた教育がなされ、現在のように一個人の欲望を、全て肯定することを良しとするかのごとき風潮はなかったのであります。  

戦後の復興期と重なるようにして、私たちの精神は豊かさを失い始め、そして今なお失い続けているように思えてなりません。 この短い期間になぜこのようなことが起きてしまったのかといえば、その発端は占領軍による様々な施策に違いないのであります。占領期間中に、我々は日本をどのような国にし、どのような国民を育てるのか、ということを決める主体性を奪われたのであります。そしてそれは現在に至るまで「日本人による日本国づくり」 「日本人による日本人づくり」 が為されていないということであります。

日本が世界に発信していくべきもの
昨年の世界同時不況以来、本来であれば我が国こそが次代のリーダーたるべく、世界へ情報を発信し、指導力を発揮せねばならないにも拘らず、残念ながらそのような動きは見えてきません。また、環境問題、とりわけ温暖化問題やゴミ問題は、子孫へ負担を残さない為にも我々世代が懸命に取り組むべき大きな課題の一つですが、その分野においても、我が国がリーダーシップを発揮できているとは思えないのであります。  

現在、世界の趨勢は西洋であります。それは、キリスト教を背景に持つ文明であり思想であります。翻って我が国の文明及び思想の背景にあるものは、自然崇拝や祖先崇拝であります。つまり、西洋とは全く異質のものであり、異質であるが故に、異なった観点から物事を捉えることができるはずなのであります。

西洋型文明社会の限界が見えてきています。今求められている循環型社会とは、正にかつて我が国がそうであった社会であり、また、大量生産大量消費の社会から「もったいない」を世界標準の社会にしていくべき時が来ています。そしてそれらは、日本が世界に発信していくべきものなのです。  

我が国は戦後長く、独自の「国づくり人づくり」をして来ませんでした。政治の世界が変わるにはまだ時間がかかりそうですが、もう待つことは出来ません。今こそ我々一人一人が力を合わせて日本を、そして世界を動かすべく立ち上がる時であります。