熊本地震で命を守った人温もり社会【熊本県西原村小森の大切畑(おおぎりはた)地区】

2016年4月14日の前震、そして16日の本震と、二度にわたって熊本を中心に九州地方を襲った地震。最大震度7を記録し、家屋の倒壊、大規模な土砂崩れなどで尊い人命が失われました。

突然の災害の中、ほとんどの家が全壊状態となったにもかかわらず、生き埋めになった住民が全員救助された西原村大切畑地区。

地区の暮らしの中に、「現代版縄文ふるさと村」に通じる「人の絆」がありました。


熊本県大切畑地区

地元消防団の迅速な救助

被災の様子 熊本地震本震発生後、朝日新聞・熊日新聞など複数の紙面で西原村大切畑地区の記事が取り上げられました。

特に被害が甚大だった西原村。村内では約2300棟の住宅の内、344棟が全壊、1087棟が半壊(村調べ)という中、約25世帯のほとんどが全壊状態だった大切畑地区で、9名が生き埋めになりながらも、全員が救助された「奇跡の集落」という記事です。

当時、西原村では熊本市消防局の出張所に6名、熊本県警大津署の駐在員が1名で、当然この人数だけでは手が回らない状況でした。いち早く人命救助にあたり力を発揮したのは地元の消防団員(住民)でした。

本震直後から手分けして地区の家を一軒一軒回り、生き埋めの住民をジャッキで梁を持ち上げながら救助。3時間ほどで全員が次々と助け出されたようです。

迅速な救助の決め手になったのは、日ごろの住民同志のつながりだといえます。未明の大地震で辺りは闇に閉ざされた状態。迅速な救助がかなったのは、家の間取りまでが頭にはいっていたから。救助された住民からは「意識が遠のいていたから、もう少し遅かったらだめだったかもしれない」と当時を振り返る方もいたといいます。


「奇跡」を生んだ地区の団結力

また、住民のネットワークが発揮されたのは救助のときだけではありません。

災害に見舞われた時、その直後はいのち最優先で助け合うことが出来ても、日が経つにつれ現実の生活に格差が生まれてきます。家屋が無事だった人と住めなくなった人、避難場所が確保できる人とできない人、当面の経済に余裕がある人とない人…など。

長期にわたる復興の道も、初めの一歩から大切畑の方々は「公」優先でした。本震直後に全戸の代表で話し合い、リース会社から重機2台とダンプ3台を借り、翌日には若手を中心に、水道修理や道路のがれき撤去を優先して行ったそうです。みんなで協力し「道を通れるようにして」から自宅の片付けに専念できるようにしたのです。

「いざ」というときに、助け合える環境が必要なことは誰もが考えるでしょう。

しかしながら、現実の災害の現場をリアルに想像したとき、今の生活、今の人づきあい、今の生き方で、果たして大切畑地区の方々が実現された「奇跡」を生み出すことができるかどうか、わたし達は真剣に考えてみるべきではないでしょうか。

被災の様子
現代版縄文ふるさと村
団結力